伊藤与助
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そのかたわら,村の若者たちは,もっと勉強しなければいけないと考え,数人の友人と勉強をしていました。
それに,小学校の頃から,もっと勉強しなければいけないと考えていましたが,当時貧しくて学校に行かれない子どもが目についたので,「この子どもたちに勉強をー。」と話し合い,その勉強する場所について相談しました。
子どもたちを集めて勉強をさせるために,与助たち若者は,いろいろと考えたあげく,用水路(堰)の上に小屋を建てる事にしました。用水路の幅は1m50cm位あり,そこへ土台になる木を渡し,柱を建て,苫小屋を造りました。大工さんの手もかしてもらい完成したのです。
子どもたちは大喜びで集まり,若者たちからいろいろな事を習いました。このことを村の人々も大変喜んでいました。
石川翁は,これに『水上学舎』という名前を付けました。
『水上学舎』が大変な評判になり,近隣の村をはじめ,ほうぼうでもまねをして,夜学会を始めるようになりました。
与助たちは,子どもたちに紙やノートを与えるためのお金を,自分たちが特別に働き,わずかなこづかいを出し合って,それにあてていました。
下虻川の子どもたちは,『水上学舎』に勉強に行くことを一つのほこりに思っていました。いえ,『水上学舎』は村のほこりになっていたのです。
与助は,石川翁と同じように,百姓の生き方を,夜学を通して村民にわからせ,石川翁の教えを広めて,自分で実行しました。
また,石川翁から,一番信頼された人のひとりでした。
与助は,文字がうまく,また文章を書くにも早く,特に和歌をよむのが得意でした。
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伊藤与助の著書には, 「女のかがみ」「鐙市太郎翁伝」 「玉くしげ」「みはたのかげ」等があります。 |
