石川理紀之助 | 潟上市立飯田川小学校

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寝ていて人を起こすことなかれ
井戸を掘るなら、水の湧くまで掘れ

rikinosuke.jpg 理紀之助翁は,飯田川町の隣り,山田村の農民としてその生涯を終えた人です。といっても,いつも村づくりの仕事の手伝いや,人々に教えたりするため,県内はもちろん全国中をかけまわって歩いて,非常に忙しい71年の一生を終えました。明治時代の二宮尊徳と評価され,農民からしたわれていました。

 山田は,現在昭和町豊川山田となっていますが,当時は一つの村でした。戸数25,人口140人という小さな村でしたが,大半の家では,それぞれ持っている田を売っても,払いきれない程の借金を背負っていました。このままでは,山田の田んぼは全部他人のものになってしまう。それでは大変だと思った理紀之助翁は,村の者と相談して,みんなで一生懸命に働いて,借金を返す計画をたて,5年の間死にものぐるいで働いて,よい作をとり,そして混食をし,節約をして,みごとに当時のお金で5,000円(現在約3,800万円)という借金を返してしまいました。理紀之助翁はこの仕事を計画し,先頭にたってやったので,世の中の人から〝村おこしの指導者だ〟〝貧乏神を追い払う人だ〟と言われるようになりました。このことが認められて,秋田県の役人にされ,米の改良などに力をつくしました。辞めてからも秋田県の村々に農業会をつくり,この会が中心になって全国的に有名な種苗交換会をつくりました。
 理紀之助翁は,山田村の借金返済という仕事から学んだものを土台にして,このあと色々な仕事,村づくり,農民が幸せになるための仕事をしていきます。

 理紀之助翁の一生で,一番大きな仕事は,適産調べでした。rikinosuke-hangi.jpg

 理紀之助翁は,広く深く学問をした人で,村々をまわって講演し,自分の考えを広めてあるきました。また沢山の和歌をつくったことでも有名です。

 隣り村の飯田川の人々も理紀之助翁から,色々なことを教わっていました。中でも有名なのは,伊藤与助です。

  飯田川小学校には,理紀之助翁が飯田川小学校のために書いてくれた直筆の掛け軸が3本あります。こどもたちにも分かる様に丁寧に書いたものですが,実際はむずかしくてよめません。それを石川理紀之助翁研究家の川上富三氏から分かりやすくよんでいただきました。

飯田川小の図書館には,川上富三著「板木のひびき‐石川理紀之助翁伝‐」160冊所有しています。

【参考文献】

川上富三著/・「板木のひびきー石川理紀之助翁伝ー」
      ・石川理紀之助先生のおしえ-門人伊藤与助の記録にみる教えと,歌話-
      ・飯田川町郷土叢書1 伊藤与助-その人・業績・遺稿-


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